危機の時代の哲学
福澤諭吉といえば、『学問のすすめ』、慶應義塾大学の創立者、一万円札の人など、日本人であればほとんどの人がそのいずれかのイメージを持っているのではないでしょうか。
でも、「福澤諭吉ってどんな人?」と質問されると、答えられない人も多いのでは。
今回は福沢諭吉はなぜ学問を重んじたかということについて考えてみます。
日本の近代化による危機
明治維新は、日本が近代化に至るまでの政治・社会変革の過程です。
明治維新
徳川幕藩体制崩壊から明治新政府による中央集権的統一国家成立と資本主義化の出発点となった一連の政治的・社会的変革。始期・終期には諸説あるが、ペリー来航による開国から大政奉還・王政復古の大号令、戊辰(ぼしん)戦争、廃藩置県などを経て西南戦争までをいうことが多い。
デジタル大辞泉
幕末から明治は日本にとって激動の時代でした。
これまでの価値観が一変し、廃藩置県により武士達は失業し、国民全員が同じスタートラインに立つことになります。
廃藩置県
明治4年(1871)明治政府が中央集権化を図るため、全国261の藩を廃して府県を置いたこと。
全国3府302県がまず置かれ、同年末までに3府72県となった。
デジタル大辞泉
そのことにより、日本人は人生のレールを自分自身で引く必要が出てきました。
一見すると前向きな変化にも思えますが、これまでお上にしたがって生きていけば良いと受動的に生きてきた人々にとっては大きな問題です。
サルトルの言葉を借りるならば、まさに「人間は自由という刑に処せられている」といえるのではないでしょうか。
植民地化の危機
また、この時代は西洋列強の脅威に日々さらされていた日本が近代国家としてどう生き延びていけばいいのかということが国の最大の課題でした。
どうすれば、この国は強くなるのだろう?
それに対して福澤諭吉が出した答えが、国全体を強くしたいのならまずは国民一人一人がしっかりすること、でした。
そこで、ひとりひとりの意欲を削ぐような制度を止めて、やる気のある人にはチャンスを与えようという構想をデザインしたのです。
2つの危機を乗り越える方法
新しい時代の到来は、失業者が増え、国民が日々不安と恐怖にさらされる国難の時代であり、西洋列強の脅威に日々さらされていた日本は国全体を強くすること必要がありました。
このような、2つの危機を自分で乗り越える手段として福澤諭吉が考えたのが学問だったのです。
明治維新と今
現在の日本も危機の時代ではないでしょうか。
かつての就職氷河期(ロストジェネレーション)の問題は何も解決しないまま、新型コロナウイルス感染症による新たなる氷河期が生み出される不安。
終わりの見えない新型コロナウイルス感染症。
グローバル化した世界でかつてのような勢いがなく国際競争でも日本は遅れをとっているようにみえます。
福澤諭吉の生きた時代と現代の空気は似ていると感じるのですが、今の方が深刻な危機に陥っているのではないでしょうか。
かつての日本は危機の中にあっても、手探りで前に進むしかなかった時代であったともいえます。
ところが今の日本では、先行きの不安、目標が持てない、未来が見えないなど、ニヒリズムの時代に見えます。
ニーチェとの比較
興味深いのは、ニーチェが示したキリスト教社会の欠陥と福澤諭吉が生きた時代の日本が似ていることです。
これはどういうことかというと、まず、私は哲学の中でも実存主義に関心があります。
西洋における実存主義はキリスト教的な世界観からの脱却であり、ざっくりいうと神ではなく人間を中心に置く考え方です。
ニーチェはキリスト教を批判し、聖書のパロディのような『ツァラトゥストラ』を出版し、天国に期待するのではなく現世を生きよと主張します。
キルケゴールはキリスト教的な実存主義者といわれていますが、実存の三段階の宗教的実存で辿り着くのは神の前にただ一人で向き合う自分自身です。
つまり、神と自己は別であり、自己が個として確立しているゆえに神と向き合えるともいえます。
私にとって、実存主義という哲学はしっくりする思想だったのですが、ひとつ疑問がありました。
ヨーロッパにおけるルネサンスから近代にいたる脱宗教的な変化はわかるんです。
では、日本はどうだったのか?
日本は八百万神を信仰、つまり自然信仰のような宗教観をもっており、これという神さまは昔からいません。
西洋でいうとあらゆる自然の事物に神が宿るというスピノザの宗教観は日本人と近いものですが、当時スピノザは無神論者であるという扱いを受けていました。
ゆえに、日本人は自他共に認める無神論者みたいなものと考えることができるのではないでしょうか。
ただし、そうなると、日本における実存主義ってなんだろう?という疑問が浮かび上がってしまうのです。
脱却すべき宗教がないのですから。
福澤諭吉を哲学的に考察
どうすれば、この国は強くなるのだろうかと考えた福澤諭吉が辿り着いた結論が、最初に述べたとおり、国全体を強くしたいのならまずは国民一人一人がしっかりする必要があるということでした。
福澤諭吉はお上、つまり幕府や国家、に依存し、指示を待つような国民を批判しました。
自分自身で考え、行動できずに、お上からの指示を待つような国民ばかりでは、日本という国は強くなることはできない。
このままでは西洋列強の植民地になってしまうのではないかという危機を抱いていたわけです。
福澤諭吉のこの考え方はすごくニーチェの超人の思想に通じるものがあるように思えます。
ニーチェの考える超人の要素のひとつが創造するということです。
創造は受動的ではなく、能動的なものです。
ゆえに、指示を待つような生き方をしている人にはできません。
つまり、明治時代の日本における国家を西洋におけるキリスト教と入れ替えて考えてみるとしっくりくるのです。
ニーチェはあらゆる苦悩を信仰心に還元して来世に期待して生きるような生き方を批判し、超人として創造的に現世を生きるべきだと示しました。
福澤諭吉が学問や行動することを奨励し、国家の意向を伺うのではなく、自分自身が独立するようにつとめよと示したこととよく似ています。
このように考えると、人間の独立心を阻害するのは神でも国家でもなく、個人の持つ弱さであり、そこから発生する依存心なのではないでしょうか。
たとえば、全体主義が生まれる背景には集団に属する安心感というものがあります。
人間は生まれ落ちた場所・時代に応じた何かしらの依存させてくれる大きなものを求めているのかもしれません。
その安堵感に寄りかかっていくのではなく、自ら考えて、行動し、創造的に生きていく。
それが、結果としては人類全体の進歩にもつながっていくのではないでしょうか。
福沢諭吉、ニーチェ、それぞれ違う国で、違う文化の中で生きてきたというのに、彼らの主張することの核が類似するということは、結局のところ、人間の本質は同じということかもしれません。
おわりに
福沢諭吉のいう学問は読書をするだけでもいいと思います。
読書をするだけ、なんていうと簡単すぎますか?
でも、自分の血となり肉となるような本は一冊を読むのに時間がかかります。
その上、文字を追っているだけではなく、内容を理解して、自分の中に落とし込むとなるとかなりの労力です。
最近は要約サイトも多いですが、自分が読んだことのある作品をそのようなサイトで読むと「?」と思うことが多くあります。
結局、読書は面倒でも自分でしっかり読むしかないんですよね。
30分〜1時間で読めるような自己啓発本やビジネス本を何冊も読むよりも、古典を読むことが大切だと思います。
先に述べたように、人間の本質はどの時代であれ、国であれ、大差はないのです。
そう考えると、この先何年生き残るかわからないような書籍よりも、世紀を超えて読み継がれているような本に触れ、深く向き合う時間は大切だと思います。
読書をすることによって、きちんとした論理的思考や想像力を身につけること。
創造的な生き方をするには、まずはここからなのかもしれません。
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